力士にとって四股名は命というほど大事だ。入門してからすぐ四股名をもらう力士もいれば、十両になって四股名をもらう力士もいるし、本名のまま引退まで押し通す力士もいます。
四股名は出身地や所属していて功成り名を遂げた力士の一文字をもらうことも多い。
四股名はできれば力士本人が考えて気にいったものをつけたいだろうが、そうは問屋が卸さないので相撲の縦割り社会だ。
親方が白でも黒といえば黒ですという、昔気質の踏襲制度が残っている現状からして、好き勝手な四股名をつけることはままならない。
四股名だが、お笑い芸人と勘違いするような四股名もあるが、この話はまた別の機会に書くとして、本題に入ろう。
現在十両、関取で、横綱や大関に相応しい四股名を付けてもらえながら、はたまた横綱になってもおかしくない均整のとれた体格をしているのに、ファンや親方をガッカリさせている力士は誰かを調べてみた。
横綱らしい四股名で土俵に上がっている関取
文句なしは、隠岐の海です、端正なマスクで身長:191.0cm体重:159.0kg、得意:右四つ・寄り。
幕内下位で取れば簡単に二桁喝が、幕内上位に上がれば、さっぱり。
時折三役を相手に善戦するが、何しろ欲がないものだから、三役定着もできない。
北勝富士も横綱らしい四股名ですが、押し一辺倒では大関以上はなれない。
大関豪栄道もその一人、稽古場では圧倒的に強いが、本場所に慣ればポガ多く、下位力士に取りこぼしが多いのが難点。
逸ノ城も四股名、体格は横綱級だが、入幕当所は騒がれたが、最近では地力を発揮できないし、なんと言っても気持ちの甘さが取り口に現れている。
本名で横綱になった力士
昭和の時代で本名で輝かしい活躍をした横綱と言えば「輪島」です。
北の湖との輪湖時代を築いたのでオールドファンは懐かしい。
北尾は横綱になって、双羽黒に改名したが、字画が悪かったのか、本人のうぬぼれが強かったの一度も優勝しないまま、親方と喧嘩して相撲界を引退。その後の落ちぶれは忍び難い。
それと保志。関脇まで本名の保志でしたが、大関になって北勝海に改名。
そして同門の横綱千代の富士に鍛えられて、横綱に昇進して、現在は八角理事長になっています。
関脇で活躍した長谷川、大関の出島といますが、横津になっていません。