安井金比羅宮

安井金比羅宮は、縁切り・縁結びのご利益で有名な神社です。

藤原鎌足が当地に藤原家一門の繁栄を祈願した仏堂を建立し、藤を植樹して藤寺とよび、崇徳天皇は藤寺の藤を愛でるとともに、寵愛した阿波内侍を住まわせました。
崇徳上皇は讃岐国に流刑になった後、阿波内侍に自筆の尊影を下賜しました。崇徳上皇が讃岐国で崩御すると、悲嘆にくれた阿波内侍は出家して尼になり、崇徳上皇の自筆の尊影を藤寺観音堂に奉納しました。

1177年、崇徳上皇の自筆の尊影が奉納された藤寺観音堂に大円法師が参拝した際、崇徳上皇の霊が現れたことから、後白河法皇の詔によって建治年間(1275年 – 1277年)に光明院観勝寺が建立されたのが安井金比羅宮の起こりとされています。

真言宗の僧侶の大円法師が参籠した際に崇徳上皇の尊霊が現れて往時の趣を示したので、後白河法皇に奏達したところ、詔が下って崇徳上皇の尊霊の鎮魂のために堂塔を建立して仏堂に准胝観音を本尊として祀り、奥の社には崇徳天皇を祀るとともに、金毘羅権現・源三位頼政を合祀し、安井の金毘羅と称したとあり、「崇徳帝・金毘羅は一体にして和光の塵は同じうして擁護の明眸を… 利生霊験いちじるし」と記されています。

源頼政が合祀されたのは、蓮華光院(安井門跡)の初代が道尊僧正が高倉宮以仁王の遺児であったためと考えられています。

明治維新の神仏分離(神仏判然令)により、蓮華光院(安井門跡)は廃寺に追い込まれ、当時の国家神道の安井神社に強制的に改組されました。併せて、祭神の金毘羅権現は、大物主神に改められました。
第二次世界大戦後、国家神道から神道の宗教法人に改組されるに伴って「安井金比羅宮」の名称となりました。

主祭神の崇徳天皇が讃岐の金比羅宮で一切の欲を断ち切って参籠ぢたことから、断ちものの祈願所として信仰されてきました。
戦のため最愛の妃と別れざるを得なかった崇徳天皇の悲しみの気持ちが、悪縁を断ち切ってくれる信仰を集めています。

境内は「縁切り縁結び碑」と呼ばれる巨石が置かれ、願いごとが書かれた白い札(形代)が貼られています。
願懸けするには、まず形代に願いごとを書き、碑の真ん中に開いた穴を表からくぐって悪縁を切り、さらに裏からくぐって良縁を結びます。
最後に形代を碑に貼って祈願します。

碑が見えないくらい貼られ、悪縁にまつわるさまざまな思いが寄せられます。
婚姻・恋愛だけでなく、人間関係全般に加えて、病気や不慮の事故、災難、悪運、酒、タバコ、賭けごと、借金、犯罪など、悪縁を切って、良縁に結ばれることが祈願されています。
過去と決別して未来に希望をもたらすことが、縁切りの本来の意味なのです。

安井金比羅宮の宿泊案内と交通案内

住所:京都市東山区東大路松原上ル下弁天町70
電話:075-561-5127
アクセス
京都市営バス「東山安井」で下車、徒歩1分京阪本線四条駅・阪急京都線河原町駅から徒歩15分

参拝:自由 社務所は9~17時30分
拝観料:なし

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